あることないこと

ドーナツの絵日記

愛着

作品を形にしたことをきっかけに、自分の愛着について気が付いた。
小さい頃、クリスマスケーキのブッシュドノエルに刺さっていた小さい斧を気に入っていまだに持っており、作品の一部にもなった。家はそんな物だらけ。拾った葉っぱ、木の実、貝殻、石、紙の切れ端。捨てられない。

お下がりの服、好きだと思って買ったもの、もらったもの、読まないけど形が良い本、空の香水瓶、たくさんの画材やノート、糸やビーズ、包装紙、手紙。捨てられない。

物を大切にすると言うと聞こえがいいけど、捨てられないから持っているしかないだけだ。私は古いもの、小さいもの、思い出があるもの、好きなものに、強い愛着がある。

関わったり、好きになったものを手放すことがなかなかできない。幼い頃から、親しんだものから離れるのをとても怖がっていたと思う。強く握っていないとバラバラになってしまう感じ。外側のものは流れて消えていくが、自分が忘れないかぎりはそこにずっと居る気がする。こういった愛着は、寂しさや心細さから来る。

何もない場所には自由があるが、寄る辺ない寂しさもある。好きなものが減れば、生きたい気持ちも減っていく。自分と対象との境目があまりないのか、むしろ境目をなくそうとしている。源まで遡ると母乳が始まりだろうか。自分の安全や安心のために子供は泣いて、親やおもちゃにしがみついたりする。そこには、自分自身という確かな存在への不安がある。

本当はここに居ないかもしれないし、すぐに消えてしまうかも?
こういうことすら作ることで昇華されるならいい。治療みたいだけど。今日は頭が痛くて、言葉がまとまりそうにない。

 

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