あることないこと

ドーナツの絵日記

体を起点に、星に願いを

こんにちは、ドーナツです。

今日は七夕ですって。去年は笹の葉を買って願い事の札を下げましたが、今年はやらず。雲間から少し日が差し込んだ夕方の気候、最高だった。大好きなささみの天ぷら、茄子の天ぷらを買った。

ニュースやその他の情報でブンブン振り回されてちょっと心がつかれた。最近少しずつ(本当に少しずつ)進めていることがあって、それをやると心が落ち着く。このブログもそうあってほしい。良い予感と最悪な予感をどちらも抱えている。最悪な予感が恐ろしくて一生懸命そこから逃げないと、と思っていたけど、それだと最悪さの周りをグルグル回っていることになりそう。人間がここまで不安定で不確定なんだと、つい最近まで知らなかった。

四月から月に一度、参加してるワークショップがある。整体指導をしている方が主催で、表現することと各々の体について探っていくというもの。このワークショップの目的は、自分を知ること。作ることが何なのか考えること。体がどうすれば楽なのか、作る体について知ること。もらった課題をひと月の間に取り組んできて、集まったときにどうだったか参加者それぞれが話す。その場以外では会わないし詮索もしない、そんな結んでない糸のような集まりが心地よい。だけど心のなかで頼りにしているし、それぞれの生んだ表現に私も触発されて変わってきている。(これは、後に一冊の本となってまとまる予定だそうです)

昔から、ものを作る人はどこか無理をするものだし生き方が不健康なくらいが本物だ、みたいな刷り込みがあった。異様な偏りを個性的だと捉えていた。それで早死してレジェンド、みたいな。そういうものなのだろうかと思いつつ、健康さが軽視されるクリエイター界隈にはすごく違和感があった。

心と体のケアをどうするか、傷をどう癒やすか、そういうのを探し求めて私の二〇代は終わってしまった。絵を描くよりも多くの時間と労力を使ったと思う。作品で消化するということができなかったので、大真面目にただ健康が何なのかということに向き合っていた。

私は「このためだけに自分がある」という生き方ができない。まず体が無理なら無理だ。心が無理でも無理。体や心を放棄して何かにのめり込むのが無理だ。とにかくすごく自己中、何にも捧げたくない。捧げたときもあったけど向いてなかった。

自分は外にある目的のために体を引きずっているんじゃなくて、体から発露するものを起点に動いている。それが一番楽で、向いてる。だから踊っても、野菜を切っても、掃除しても、絵を描いても、寝てても、それがその時の全てだと思う。もどかしくて、ものたりなくて、つまらないと感じられても。

 

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