あることないこと

ドーナツの絵日記

悟りの領域

こんにちは、ドーナツです。

旅行から戻ってきて、かなりよく寝るようになった。寝方を覚えたのかな。たんに疲れているだけだろうか。ちょっと長めに眠る日々が続いている。夢の内容もまったりというか、好きなアイドルたちと仲良くする夢など見られて幸福な気持ちになる。アイドルの夢を見ている人は世界中にたくさんいるだろう。いつも笑っている姿を見せてくれるから、夢の中でも彼らは笑顔だ。

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午後は近所の友人宅へお邪魔した。友人たちが集まっており、料理が得意な子が作ってきてくれたものを皆でつまんでゴロゴロしていた。身の回りにいる人々を思い出すと、出会いたかった人たちにちゃんと出会っている。なんで私みたいな性格の人がこんな素敵なものを持っている人たちに出会えるんだろう?とよく思う。自己評価、全くあてにならないところがある。自分で思ってる自分も、他人が見た自分と同じように、氷山の一角。

友人たちと話した「感覚を終わらせる」という話が面白かった。
例えば蚊に刺されたとき「あ、ここが痒いんだな」と認めると痒さが無くなるという。寒かったり、暑かったりするのも「まあ、寒くて当たり前か」と受け入れると気にならなくなるらしい。とっても面白いなあと思った。私は逆のことをしているように思う。痒いのを無視してますます痒くなったり、なんで痒くなるんだ?と思って逆に痒さに注目してしまったりする。認めたり受け入れると消えるというのは、なんだか悟りの領域だね、と話した。

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思えば、嫌なことを集めるのが癖になっていた。不安な要素を放っておくと後で必ずつまづくから、先に可能性を考えて対処しようとしている。

いつも誰かが見張っていて、私に隙が生まれた瞬間にすべてを台無しにして地獄に落とすんじゃないか。だから幸福は危険なこと、敵に背中を見せること。一人でひっそりと味わうのはいいけれど、目に見えて幸福になるのは良くないことだとずっと思い込んでいる。このルールは、すっかり錆びついてボロボロだ。

生きていくために、そういう考え方が必要だった。正しいわけでもなんでもない。進みたい方へ導くアプローチだった。あるいは、例えば誰かを口説くためには様々な仕掛けをしたほうが面白い、みたいな。それだけのことだったかもしれない。

今って、踏み出した一歩目がゴールです、ということが平気で起こるような状態だと勝手に思っている。それなりに時間や労力やリスクは伴うけど、岩を背負って兎跳びするような意味の分からない努力はもうガッツリ削ぎ落とされていく。

何をしたらいいかというと、もうやることをやるだけなんだけど。

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