あることないこと

ドーナツの絵日記

展示を終えて、作ること

土曜日、八王子での展示が終わりました。

来てくださった方、気にかけてくださった方、どうもありがとうございました。思い返せば学生時代にやったグループ展以来の展示となりました。やってなさすぎる。私は基本イラストレーターとして活動していますが、今回も、当時の展示も、絵ではなかったです。その場に馴染むような立体物を作りました。

ひとつは、家にあった物だけで作られた、お気に入りの小さいものをモビールのようにぶら下げる装置。もうひとつは、その日の気分ごとに、糸の色、刺し方、手触りを変えて縫われた刺繍。どちらも、前からその場所に存在してるように見える、そのくらいの存在感。

これらはワークショップの過程で生まれたものです。何かを意図して作られたというよりかは「こういうものが出来てしまいました」という作品。月に一度、ワークショップ参加者のみなさんと作品や時間を共有する中で自然と引き出されました。

絵が得意なんだから絵をやればいい、と昔から思っていたが、表現や体について向き合うこのワークショップでは必要ないものだなと初めから思っていた。


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作ることでの覚書

絵は作るものではないと感じている。他者や社会を前提にするもので、自分を満足させる役割や機能ではない。納得できるものにするのは大事だけど、心を満たすのは目的じゃない。

描く力は技術で、絵そのものは機能。社会の中でどう機能させるか。人が喜ぶこと、役に立つこと、それが一番だと思っている。我を超えた機能美がある。そうであるべき、ということではなく、それが私の絵にとっては喜びになる。絵に対して、よく機能してほしいといつも願っている。

何かを作ることは自分のためにすること。
大切なものを大切であると表現する。それを人が見てどう受け取るかは、何かが生み出される原初では大事なことではないように思う。大きさや形や素材、時間や環境、あらゆる制限の外にあって、そうでなければ思考に隠れて出てこれない。

作るならまず感じること。そこから芽が出てくる。


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