あることないこと

ドーナツの絵日記

ちいさい生命活動

あけましておめでとう。

年末の掃除で古いデジカメを発掘し、その手軽さをすっかり気に入ってしまいポケットに忍ばせて散歩のお供にする日々。

去年はiPodも復活させたので、なんだか少し古いものの感触を味わうことが増えた。今では感じる画質の低さも、不便さも、それなりに心地良い。時々、古いものが敢えて良いのだと再び流行ることがあるけど、あれは何かを見つける人の感性の話ではなくてずっと同じ場所にあり続けたものがただ素敵だっただけなんだろう。

青春期に重なっていたあらゆる文化とそれを楽しむためのデバイスはそれだけ思い入れがあるけど、改めて使い直してみて、ちょうどその頃の物が自分によく合っていたのだと気付く。それより古いと使いづらいし、今だと便利すぎて退屈。懐かしいから好き、という感じも確かにあるけれど、それ以上に道具としてしっくり来ることに気付く。

新しさに付いていけてないだけかもしれないけど、新しさにそこまで豊かなものを感じなくなった。最先端の機能は、意識に上らないほどプロセスを滑らかにしてしまうことが驚きでもあるし、自分の見えない部分を侵されてる気もして少し怖い。それが、本当に自分に合うわけでも使いやすいわけでもなかったりする。便利さの代わりに、自分自身の機能が少し死ぬ。

 

きっとワイヤレスの次は、物自体の煩わしさを失くす方に向かうだろうし、そうしてその時、また物自体への愛おしさに目が向いたりするだろう。色んな理由で人は何かを評価したり、しなかったりする。

いつも思うのは、人も物も、ただずっとそこに居た。人は自分の持ち場でずっと生命活動をしてた。誰かがそれを見つけて何か言うだけ。ずっと生きてたのを、みんな知らなかっただけだ。

こうした小さい生命活動が、自分がここにいたという確認や記録になり、何者かどうかという説明以前に根付いてるものを私に思い出させる。

 

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