あることないこと

ドーナツの絵日記

ここ最近の生活など

ぎゃん。
あっというまに春どころか暑い。

このあいだ、自分に向けた占いを公開しましたが、読んでくださった方ありがとうございました。占いのときって占いっぽい口調にどうしてもなるんですが、あれはどうにかできないだろうか。簡単で伝えやすいんです。でもそれが一番いいとは思わない。みんな、同じ口調になってしまう。そして、自分の悩みはだいたい個性がないから他の人と同じです。税関でいろんな荷物が止まってるみたいに、同じところで大勢が止まってる。私は体験ベースじゃなくて、勘ベースで掴んで話してしまうから、自分から出た言葉に自分がついていけないことがよくあります。

またいつかやるかもしれません。

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Instagramは随分前からタイムラインが補正されるようになった。私の動向に合わせて勝手に並びを変える。むかつくのは、それがデフォルトで変更できないところ。自分がよくいいねをするアカウントでも、別にいいねしない時もある。それなのに「いいねし忘れてますよ」といった具合に何度も表示してくる無機質なおせっかいぶり。分かっててスルーしてるのよ。だからそれが嫌なときには「この投稿を表示しない」にして、自分でカスタマイズしないといけない。好みに基づいてオススメしてくれる機能はもはや当たり前だけど、そういうのがつまらなくて嫌い。濁流の中から宝物を見つける嗅覚を鍛えてるんだから勝手に補助輪つけないで、と思うが、少数派の意見なんだろう。

Twitterは表示順を選べるからまだマシ。おだやかTwitterという拡張機能のおかげで快適に使えている。余計な機能が増え始めるとき、もうそのサービスは傾いているのかもしれない。それくらい、大勢が使うものを維持したり改善したりするのが大変だということかも。SNSだってみんなが幸せに、楽しく、便利に、快適になるように作り始めたものだと思う。そもそも無料で使えるものだからカオス化するのかな。使うほうが賢くなったほうがいい。自分自身がそうだけど、サービスのせいにするのは現代人っぽいなあとも思う。

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お世話になっている方々の手伝いが今月から始まった。
あたらしい風が舞い込んできた感触。

短い期間だけど、はたらく機会をもらって本当にありがたい。思えば「様々な場所で違う仕事をする」というのはひとつの理想だった。同じ場所でじっと同じことをし続けるのは全く向いていない。あっちこっちに顔を出し縁があった人を手伝って必要なくなったら去る、を一生繰り返すことを”自分の安定”としたい。金銭的な面で見れば今は全然アウトという感じだけど、ただ運良く生きてる。どこか一箇所をあてにして暮らすのは本当に危うくて、そういう意味では私はかなり危うい。

ありがとう、とハグしてバイバイ。それくらいの軽い付き合いで、なるべく多くの人の手伝いをしたい。というか助けるつもりで助かってるのは私だし、どっちが上でも下でもないから適当に付き合っていきたい。

どんなことでも、仕事、となると鬼のごとく真剣になってしまうのでそれがネック。「もっと自由に軽く」を求められるときでも、岩でできた般若みたいに固くて怖くなる。その内訳は、絶対に失敗せず、役に立ちたい、上手いと思われたい、という我執だ。我ながらすごい意地だと思う。相手はそんなの全く求めてないから、多くの場合これですれ違ってしまう。

私が経営したり、雇う立場になったら、マイペースで楽しく働いてほしいだろうなと思う。自分の良い感じを保ちながら働くことが個々人で難しいケースは、もちろん構造やムードの影響もあるけど、自分のことが分かっていなくて自立できてないこともあると思う。先生、上司、雇用主、先輩、そして友人や恋人。その人たちに自分の親に求めるようなことを求める。頑張ったから(褒めてほしい)はお金や成績とは関係ないが、だいたい混同される。

もちろん「ありがとう、助かった」の一言で力が湧いてもっと頑張れることは多分にある。だけど、それを求め始めるといろんなことがおかしくなる。これは自分の経験や失敗で思ったこと。

人に求めなくとも、自分ではいっぱい言えるように努めたいとは思う。

 

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