あることないこと

ドーナツの絵日記

反旗

外に出たら、桜が半分近く咲いていた。
今日は気持ちが忙しなく、桜を見たのに心が何も動かなくてそのことに驚いてしまった。咲いてるな、以上。私は余裕がなくなると、何かを美しいと思ったり感謝したりするスペースから削いでいくんだと思って恐ろしくもなった。

コロナになってから特に感じること。
今の社会に対して、正面から真面目に一生懸命生きてもおそらく幸せにはなれないということ。努力や真摯さが無意味、ということではなくて、そんなもの全く意に介さないような構造に包摂されてまるで無意味のようになってしまう、と感じてる。全てのことがそうじゃないが、一見喜ばれて上手くいっていることも、全体から見れば地獄を強化していることがある。稼いでも、働いても、どんどんどこかに吸われていってしまうような。ある種の真面目さでは到底太刀打ちができない。だから、それが分かると、諦めて無力さに打ちひしがれながら暮らしてしまう。

とりあえず目の前のことに一生懸命になりながら、どうにか柔らかく抜けれる方法がある、と思いながら疲れちゃったりしてる、最近。社会のあり方にNOの姿勢を保ちながら、表から目立って抵抗するわけではなく、いまの状況に馴染みながらも諦めずに方法を考えつづける。それが勉強なのかもしれない。

私は真面目で安直で、残念ながら賢くない。大人の言うことを大真面目に信じて、すべての情報を鵜呑みにしてすくすく育った。正しいことが良いことだと普通に思っていた。今でもその芽がたくさん内在していて、見つけるたびに摘んでいる。

もちろんダメなことはダメ、嫌なことは嫌。でもなんだか構造は善悪なんてとおに通り越しており、そこの抜け目を見つけたいなら正しさを訴えるだけでは効果がないように思う。この社会は悪だ、反旗を翻そう。だけじゃ相手が大きすぎて上手くいかないし、そのエネルギーすら上手いこと吸収されていく。疲れてしまう。

体や心が楽になる、ということへの罪悪感や抵抗感は洗脳に近い。

自分が本当に楽で幸せになることに取り組むのは、自分自身の持ち場につき、自分を愛するということなんだと思う。それは責任を取り、力を取り戻すということ。

楽しいってどういう感覚なのか、少しずつ近づこうとしてる。新たな洗脳をしてる。自分の中で静かに革命を起こす。目立つ必要も、主張する必要もない。先んじてる人の背中に励まされることも多い。

なんかこういうふうに真面目に熱くなる性分だから、うまく力抜けないんだろうけど。

 

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