あることないこと

ドーナツの絵日記

ただの愚痴

こんにちは、ドーナツです。

なんと、絵日記が四日分溜まっています。
月曜日から水曜日まで遠出をしていました。

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初日。道すがら、山の中にあるアート施設のようなところへ行った。
その土地の自然を利用して人工的に作られた景色が売りで、本来は共生することができない池と落葉樹の姿が見られる。たしかに綺麗だったんだけど、いまいち感動できなかった。

景色を守るために、地面に配置された飛び石を必ず踏んで敷地を散策しないといけないのだけど(誓約書まである)守ってる人は半分程度。それもそのはずで、飛び石がやたら小さかったりしてかなり歩きづらい。真面目に守って歩こうと地面ばかり見てしまうと、景色を楽しめない。同じときにルールをあまり気にしない感じの明るい若者グループもいて、禁止区域をのびのび歩いて写真を撮っていた。

ルールを守ったものは疲れ果て、楽しめないようでは本末転倒だった。計算されたはずの景観はきっとどこかチグハグなんだと思う。ルールなんて個人が程よく破ればいいじゃん、という話かもしれない。しかし疲れているのが分かってても私は最後まで破れなかった。

自分が気が付かずにルールを破っていることは多々あるんだけど。見えないところで誰かが何かを維持していて、秩序や安全のために決まりがあるのだと知ると「まあいいじゃん」となれない。

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この施設にはカフェやショップ、工房なども併設されていた。
エントランスの本棚には八十年代くらいの思想や文学の本が並んでいた。ところどころに絵も飾られている。雰囲気はおしゃれだ。

しかしカフェ内で、ここの関係者でお偉いさんっぽいインド系の人が大きい声で喋っていて、気になって仕方がなかった。その人はなにかとタバコを吸い、酒を片手に色んな場所をうろついて観光客に話し掛けたりしていた。後で気付いたがマスクもしていなかった。悪い人ではなくただの大胆な人だけど、施設から浮いていた。一般人じゃないってことなのだと思う。お料理も、不味くはないのだけど美味しくもなかった。東京のカフェご飯とかなり似ていた。綺麗だけど上滑りしているような感じ。

これは自分の感覚だけれど、ここはお客さんのための場所ではないということなんだと思う。お客さんはこの場の維持のためにお金を運んでくる人と思われていて、だからそれに適うだけのことしかない。そのお金やお客さんの捉え方が都会っぽいと感じたのかもしれない。作った人が何を考えているのかは形となってすべて現れるように思う。


結果的には自分の大切にしたいものを再確認できてよかった、私は形やサービスを通した愛にちゃんと出会っていきたいと思うし、お金もそういう場所に落としたい。自分はちょっと真面目すぎるけど、譲れない場所と譲ってもいい場所の見極めくらいはしたい。

性格悪い人の愚痴でした。

 

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