あることないこと

ドーナツの絵日記

寂しさに風を吹かせて

こんにちは、ドーナツです。

先週の絵日記を一日飛ばしていたらしく絵が六つしかない。まあそれでもいいかなと思ったのですが、今回はなんとなくキリが悪い気がして、間に合せになっちゃうけど追加で書くことに。

飛ばしたのは九日のこと。もちろん、どんな日だったか覚えていない。だいたい同じような過ごし方をしているから記憶に残ることが少なく、あっという間に一週間が終わる。それが積み重なってついには今年が明けてから八ヶ月が経ってしまった。誰かと疎遠になってもすぐ数年経ってしまい、そういえば会っていないなと気が付く。こういうことってすごく老化っぽい。

寂しいといった気持ちが切実すぎて身が千切れていた頃を過ぎて、今はもう、ただそこに居るそいつと共同生活を営んでる気持ちになっている。ただ無くなったわけではないので、今でもどうしたらいいのかは分からない。人と分かり合えない部分があること、伝わり合うことがほとんど無いこと、そう思えた相手が居なくなってしまうこと、自分への深い諦めや失望が私の中の「寂しい」という気持ちかもしれない。

自分が持っている寂しさは、他人がどうにかすることができないもの。経験から来るものもあるし、根源的に持っているものもある。人を好きになるときは自分のそれを一回全部見つめ直さないといけないから、寂しくてみっともない自分を愛せるかが鍵になる。どれほど人に無碍にされても自分は自分のところに戻ってくるしかない。自分が背を向けていただけで、思った以上に周りの人から気遣われて愛されていることに気が付く。そうされるだけの存在感で生きてきたし、そのくらいの図々しさも持っている。

自分以外の人もけっこう寂しいし、
あまり言わないけど、不安な夜もいっぱいある。

自分が寂しいときは、どこかにいる誰かも寂しくしている、そういう通知だと思ってもいい。そんな人のためになにか出来ることがあるだろうか、その人に何を見せてあげようか、そんな風に考えると、寂しさが皆のものになって、風が少しずつ吹き込んでくる。

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