あることないこと

ドーナツの絵日記

整いと考えること

こんにちは、ドーナツです。

今日はお休みしたいなと思った。
といっても大体いつも通りに過ごしたけど、休みなんだと思っただけで結果休めたような気がする。自分にとって休息は、体のことじゃなくて主に心や頭の休息なんだなと分かってよかった。

整体の本を読んでいたら体がムクムクしてきて、自然とお腹が減ってきたので久しぶりに給食のような王道甘口カレーを作った。ずっと考え事や作業をしてると、脳でそれを並行しながら家事をしたり食べたり散歩することになるので、これまではそれをしている時の感覚がちゃんと分かってなかった時間のほうが多かったなあと思った。

整って良い感じになると目がチカチカするのだけど、あれはなんだろう。良い感じのことだとは思う。

夜にTwitterを見てたらまたひどい情報が回ってきて(最近ずっとそうだけど)いろいろ考え始めてしまい、お休みが終わってしまった。

自分のことを肯定してもらうためや、思想を強化するために本を読むのじゃなくて、知らないことを知るためにじゃないと意味がないんだなと改めて思った。当たり前のことだろうけど、私はできていないことも結構多い。読書に対する目的を限定するのはおかしいし、何かを決めつけられる権利などないのだけど、何のために読むのかという自問自答を持たずに読むことでどんどん歪む思考もあるような気がした。

今はとくに批判的な知性と自然に沿う感性が両方バランス良く求められている感じがして、私は色々な違和感を抱えたままそれを推進力にしてる気がする。この言い方も合っているか分からない。どっちかに振り切るのは危険な感じがする。

 人の考え方って、途中で気付くきっかけがないとどこに転がり落ちていくか分からなくて、絶対チャンスはいっぱいあったはずだった。私も現在進行系で間違えてるところないか心配になる。いや、多分間違えてはいるんだけど。

ここで当人を叩いて終わりにするんじゃなくて、自分はどういう社会や世界を望んでいるのかを明らかにするための例として用いたい。自分自身への愛のなさ、自分を見つめようとしないことが、結果的には平和や調和のない世界に直結している気がする。愛の話だけに全てを収束はできないけど、一人一人ができることを考えると自分はそこに行き着く。

 

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